一代の英傑 vs. ダブルの凶殺

こんにちは!

暦と旅の案内人こよみすと
プロデューサーの藤野です。

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早速ですが、今日も、皆様を

大人のタイムトラベル 〜暦と歴史の旅〜

にご案内したいと思います。

 

 

藤野の大好きな「江戸時代」(とその前後)を舞台に、
皆様ご存知の歴史上の有名人(じゃない人も出てくる)をご紹介しながら、

暦を読み解き、歴史を紐解く、
ちょっと不思議なタイムトラベルへお連れします。

 

 

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さあ今夜の主人公ですが、
家康さん・信長さんと来たら、この人をやらないとですよね。

いよいよ 豊臣秀吉公 のご紹介です。

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それではどうぞ、こちらから、
大人のタイムトラベルの始まりです。。。

 


豊臣秀吉の天下はなぜ一代で崩れ去ったか

日本史史上、いや世界史の中でも、
圧倒的な「一番出世」を果たした、 と言えばこの人「秀吉さん」

足軽の子とはいえ、ほとんど尾張中村の百姓という境遇から身を起こして、
織田信長の信頼を得てからは、とんとん拍子に出世街道を驀進し、
絶対君主信長が本能寺の変で自刃を遂げてからは、
鋭気と敏捷なる行動を以ってついに、
戦国の武将の誰もが望んだ天下統一を成し遂げたのが豊臣秀吉です。

しかし、天下統一後に、国内を完璧な布陣のものにしなかったために、
惜しくも一代で崩れ去りました。

秀吉(豊臣政権)の命取りともなったのは、朝鮮征伐にあると思います。
天下統一を成し遂げた秀吉にも、他国に攻め行ってその力を発揮することはできなかったのです。

侵略は、許される行為ではありませんが、
この秀吉と朝鮮征伐にも「暦」「方位」を学ぶ者として非常に興味を唆るものがあります。

 

 

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵)

 

豊臣秀吉さん (幼名)日吉丸 (別名)サル( ̄▽ ̄)
木下藤吉郎 → 羽柴秀吉 → 豊臣秀吉 

生年月日:天文6年02月06日  1537/3/17 4-7-1-8
丁酉歳の四緑木星の生まれ。

出生:尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)

お父さん:木下弥右衛門
お母さん:大政所(本名:なか)

 

実りの歳の「墨俣一夜城」完成で出世街道へ

二黒中宮寅年となる1566年09月、織田信長による美濃侵攻にあたって、
当時の木下藤吉郎(後の秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いて、
並居る織田軍団の中で一躍出世コースに躍り出たと伝えられている
その城(砦)がいわゆる墨俣一夜城ですが、


二黒中宮のこの年、四緑木星の秀吉は、
実り・完成の方位である「西」に回座していました。

 

 

決死の殿(しんがり)を勤めて殿(信長)のお役に立つ

七赤中宮午年である1570年は、戦国史上有名な織田信長の撤退戦の年。
織田信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻撃したところ、
同盟関係にあった小谷城の浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕した。
そのため木下藤吉郎(豊臣秀吉)と、信長の同盟軍の徳川家康が後衛となって、
信長本隊が信長勢力地まで帰還するのを援護したのが、
所謂、「金ヶ崎の退き口」

敦賀口における金ヶ崎城(敦賀市)攻略自体はすでに成功していたのですが、
浅井家の裏切りの情報を受けて、この地で信長軍の撤退が始まり、
木下藤吉郎の殿(しんがり)軍はこの地を拠点にして撤退戦を行いました。

まさにこれ、この時四緑木星の秀吉が回座していた南西の象意である、
縁の下やサポートという役回りが形になったモノなのです。

 

 

織田家の重臣たちを思う通りに振り回した清洲会議

本能寺の変から中国大返し、山崎の戦いを経て、
信長亡き後の織田家の経営会議であったのが映画にもなった「清洲会議」です。

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天正10年(1582年)、この年は秀吉の本命星が中宮となる四緑木星年。
本能寺の変で絶対君主信長を失い、中国大返し、山崎の戦いを経て、
織田家の経営会議である映画にもなった「清洲会議」が行われたのも
全て、この天正10年なのです。

九星の中心に座る秀吉は、いい意味でリーダーシップを発揮し、
悪い意味では「暴君」的な強引さを持って、
信長亡き後の織田家の中心に座ることになるのです。

 

 

 

さあ!
ここまでは天地自然の「流れ」に沿った秀吉の大躍進でしたが、
ここからは、
秀吉の運命を大きく狂わせた朝鮮征伐を
「暦」の視点で見てみましょう。

  

 

 

五黄殺を侵して秀吉(豊臣政権)の命取りともなった朝鮮征伐

朝鮮征伐に踏み切ったのは1592年(文禄元年)4月でした。
九州は佐賀の名護屋を根拠地として、
15万余りの兵をもって朝鮮の釜山に侵攻しました。

このことを方位で見ると、
朝鮮(釜山)は日本からみて「西」方位に当たります。
この西方位は、九州佐賀の名護屋からみるのではなく、
国と国とが争う戦争の場合は、国の主都からみます。
当時は、大阪が秀吉の居城でしたから、
大阪から方位をみて「西」方位とするわけです。

さて、1592年(文禄元年)の九星年盤を調べてみると、
この年は三碧木星の中宮で、西方位には五黄土星が回座しています。
西方位、つまり朝鮮への出兵は、
この「絶対に避けたい五黄殺」方位を犯していることになるのです!


その後、1596年に一度は朝鮮(明国)と和を結びましたが、それもつかの間、
翌年の1597年(慶長2年)丁酉歳の七赤金星の年に、再び朝鮮に出兵しました。

 

 

さてここで、1597年の九星年盤をみてみると、
七赤金星中宮の年ですので、
西方位には九紫火星が在位し、その対面は五黄土星。


あの!暗闇で剣で刺されて殺される!
と忌み嫌われる「暗剣殺」となるのです。
西方位は絶対に行っちゃいけない方位だったのです。

 

 

秀吉の失敗は、朝鮮征伐に出向いて、
何よりも多くの人命を失ったことを始め
無益で無駄な膨大な労力と、財貨を消費したことにあります。
加えて「身内」と言える「人身の離反」も加わっています。

五黄殺と暗剣殺のダブルの凶殺を犯した結果、とも言えるでしょう。

 

 

世界史上稀に見る一台の英傑「秀吉」が
精魂を尽くして築き上げた大阪城。

外郭四キロ余りにわたる累塀も、
その豪壮華麗な難攻不落の大城も、
慶長19年の大坂冬の陣と元和元年(1615年)大坂夏の陣で、
誰よりも愛した淀殿と豊臣秀頼と命運をともにし、
徳川家康によって徹底的に破壊されてしまいました。

天地自然の法則や流れに逆らうと、いかな秀吉でも
このように、露と消えてしまうのです。

秀吉の辞世の句

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」は、
※天正16年(1588年)4月に秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えた際に詠んだもの

 

 

豊臣秀吉公 主な年表

天文6年02月06日 誕生 1537/3/17 (4-7)

1554年      清洲にて織田信長に使える

1560年      桶狭間の戦い

1566年09月    墨俣一夜城築城

1570年04月    金ヶ崎の退き口

1573年8月    越前朝倉攻め

1574年01月    近江長浜城 城主に

1582年06月02日  本能寺の変

1582年06月13日  山崎の戦い

1582年06月27日  清洲会議

1583年04月28日  北ノ庄城落城 柴田勝家・お市の方自害

1583年      大阪城築城開始 〜1598年完成

1585年07月    従一位内大臣 関白に就任

1586年12月    従一位太政大臣 関白 

1587年05月    九州平定

1587年09月    聚楽第建設

1588年01月    浅井茶々(淀殿)を側室に直す

1590年03月    小田原征伐

1590年06月    奥州平定 → 天下統一

1591年01月    弟・小一郎秀長が病没

1591年02月    千利休切腹

1592年04月12日  文禄の役

1596年      慶長の役

1598年08月    伏見城にて病没(62才)

 

 

大人のタイムトラベル 〜暦と歴史の旅〜

藤野の興味は、これから皆様を、
徳川家康公が築いた徳川15代 265年の江戸時代へと
ご招待したいと思います。

時系列も前後することもあるでしょう。
興味が、ものすご〜くマニアックな分野に飛躍するかもしれません。

時代劇でおなじみの、歴史上の人物も多数登場します。

今日のように
みなさんと一緒に「暦」を読み解きながら、
日本全国を舞台に、歴史の旅をお楽しみ頂ければと願っています。

 

 

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暦を学ぶだけではなく、
旅に出かけるだけでもなく、

暦の知識に、
旅の知識をプラスして、
そこに
もともとの自分の興味関心を合わせて
暦と旅のある生活を楽しむのです。


大好きな歴史の中の出来事や人物が、
暦と旅の現生活の中に蘇って来て、
目の前にイキイキと再現されるような感動を
味わい続けているのです。

今、私は、
ここ渋谷区広尾にオフィスを構えて
毎日のお仕事をしていますが、

もう明らかに、
ここは東京ではなく、江戸!なんです。

いわゆる「江戸・東京ブーム」というものは、
時代を超えてなん度も繰り返されているようですが、

私は今日も、
歴史小説や新書、あるいはもっと高度な専門書を通して、
大好きな「江戸時代」に触れ、
同時に、最近では非常に便利に使えるようになって来た
「古地図」というものをめくりながら、
江戸と現代を行ったり来たりしながら、
本当にエキサイティングな毎日を楽しんでいます。

なぜ江戸が好きか?
というお話はまたいずれ・・・

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