こよみすと 歴史散歩004.〜佃島〜元祖江戸っ子は、関西生まれ!?

こんにちは!

こよみすと プロデューサーの藤野です。

 


旅の知識・楽しみ方ランキング

 

気学や風水好きな女性たちのために、
「こよみすと 」と言うプログラムを整え、
さらに歴史好きな男性にも、是非に、
この「こよみすと 」を広めたいと思っています。
 

「暦」に即した”こよみ生活”を送るようになると、
特別な日ではない、普通〜の毎日の中にも、
今までは気付かなかった様々な関心・興味が
続々と沸き起こってくるのです。

自然と、地理や歴史や文化にも明るくなります。

さて今日は、

こよみすとの最初のお散歩ツアーに行ってきた時のお話し。


今回の目的地は、

ズバリ!下町 佃島

 

JR月島駅で集合した「月島・佃島ツアー」

民家と民家の間の、
ありえない程の狭〜い路地を入っていく
佃天台地蔵尊へのお参りから始まる、
THE下町!と言えるツアーでした。

ウォーターフロントの高層マンションと
昭和時代の銭湯と、大正浪漫的な赤い橋

というフォトジェニックな風景を通り抜け
佃島に向かいます。

 

満月を望む住吉神社が今回の目的地

「毎年、最初の巳の日だけにお渡しがある「巳の守り」がある
縁起のいい神社です!」

 

という解説も、そこそこに、
皆さんの足は、そそくさと月島へ・・・

そう!月島といえば「もんじゃ焼き」
月島もんじゃストリート\(^^)/

と、やはり、こよみすと のツアーは
美味しいものに目が無いのです。

めでたしめでたし!って

 

 

こよみすと としては、


見るべきものは他にあるだろう!

見るべきはこっち!

ほら!
徳川幕府って書いてある!

 

 

 

という訳で、
今日の歴史散歩は、

この佃島にまつわるお話し。

元祖 江戸っ子 とも言われ、

後世の人からは、

江戸のモーゼ!

とまで言われた
森 孫右衛門さんの物語です。

森孫右衛門(1569~?)

太田道灌が開き、時を経て徳川家康が大都市に育て上げた江戸(東京)。
私たちが生活しているこの東京は、今では、
世界屈指の大経済都市として発展を遂げています。

とは言え、
2020年の現在から約430年前に、
徳川家康が故郷である三河から江戸に入府した時、
江戸は沼地に葦が茂る、家屋もまばらな田舎の寒村でしかなかったのです。

藤野が大好きな古地図で、草創期の江戸を見てみると、
現在の日比谷や銀座〜品川までの一帯はほとんど遠浅の海だったという事がわかります。

家康は江戸城のお堀を作る際に出た土や、
神田付近にあった山を切り崩したその大量の土砂を使って、
この江戸の遠浅の海を埋め立てました。

そして、家康が開墾し街として急速に発展していく中、
急速に増える江戸の人口を養うのに必要だったのが「食糧」だったのです。

江戸にはすぐ近くに、現在でいうところの
東京湾という魚介の豊富な食料庫があった。
ところが、江戸近辺の漁師は、その当時までは一本釣りが普通で、
その技術では江戸の増える人口を養うことは無理だったという事です。

そこで、家康は
当時最先端の漁業技術を持った漁師33人を摂津(現在の大阪府大阪市)
の「佃島」から連れて来ました。
その、33人のリーダーとも言える名主だったのが森孫右衛門(もりまごえもん)なのです。

 

家康に指名された漁師

1582年、織田信長が本能寺の変にて明智光秀に殺害されます。
このとき信長の盟友でもある家康は
本能寺とは目と鼻の先になる堺の街を見物中であり、
明智軍に見つかれば間違いなく殺されていた。

そんな中、家康は命からがら自分の領地である三河に帰還する。


必死の逃避行の際、水路や糧食の確保などを行ったのが
孫右衛門ら佃島の漁師たちだったのです。

戦国時代の漁師は、ただ魚を獲るだけではなく、
自分の漁業圏の権益を守るために武装する
海軍的な性格もおびていたとも言われています。

家康はこうした功績を挙げた孫右衛門に対して、
「森」という姓のほか様々な特権・褒美を与えました。

「白魚(しらうお)」という高価な魚の漁業権、江戸近郊全般での漁業権、
税金の免除、武家屋敷への出入り許可などなど。
※白魚の模様が徳川家の定紋「葵御紋」に似ていたため基本的には禁漁だったと言われている。

もう一つ言えば、徳川初期、この白魚以外の魚は、
皆「雑魚(ざこ)」と言われていたんだそうです。

「鯛」が高級魚として珍重されたのは、もっとずっと後、
江戸中期くらいからだと言われています。

 

こうして森孫右衛門ら摂津の漁師がもらった
褒美の1つが当時まだ浅瀬だった佃(島)だったのです。

 

森孫右衛門が現在に残したもの

漁師たちは浅瀬を埋め立てて、そこに故郷である「佃島」の名を付けました。
これが現在、東京都中央区にある「佃」の地名の由来なのです。

また、江戸時代に特権を貰った摂津由来の漁師たちは、
漁獲した「白魚」を徳川家に献上するようになった。

そして驚くことに、この「白魚献上」の習慣は、
何と!現在も続いているのです。


毎年、3月1日には
佃漁業組合が、徳川宗家に白魚を届けていると言われています。

 

もう1つ。

森孫右衛門らが、今にも伝わって残したものは
「魚河岸」と「江戸っ子気質」だと言われています。

「魚河岸」とは、いわゆる築地(現・豊洲)にある「魚市場」の通称ですが、
「東京湾で獲れた魚を売るための仕組み」と、
海という大自然とともに生きる中で培われた
「気っ風の良さ」と「心粋(活きの良さ)」は、
この森孫右衛門を一族の長とする
大阪摂津から来た海の民(の子孫たち)が作ったものなのです。

元祖江戸っ子は、
関西生まれだった!

というお話し(^ ^)

 

 

 

暦を学ぶだけではなく、
旅に出かけるだけでもなく、

暦の知識に、
旅の知識をプラスして、
そこに
もともとの自分の興味関心を合わせて
暦と旅のある生活を楽しむのです。


大好きな歴史の中の出来事や人物が、
暦と旅の現生活の中に蘇って来て、
目の前にイキイキと再現されるような感動を
味わい続けているのです。

今、私は、
ここ渋谷区広尾にオフィスを構えて
毎日のお仕事をしていますが、

もう明らかに、
ここは東京ではなく、江戸!なんです。

いわゆる「江戸・東京ブーム」というものは、
時代を超えてなん度も繰り返されているようですが、

私は今日も、
歴史小説や新書、あるいはもっと高度な専門書を通して、
大好きな「江戸時代」に触れ、
同時に、最近では非常に便利に使えるようになって来た
「古地図」というものをめくりながら、
江戸と現代を行ったり来たりしながら、
本当にエキサイティングな毎日を楽しんでいます。

 

なぜ江戸が好きか?
というお話はまたいずれ・・・

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