こんにちは!
こよみすと プロデューサーの藤野です。
旅の知識・楽しみ方ランキング
気学や風水好きな女性たちのために、
「こよみすと 」と言うプログラムを整え、
さらに歴史好きな男性にも、是非に、
この「こよみすと 」を広めたいと思っています。
「暦」に即した”こよみ生活”を送るようになると、
特別な日ではない、普通〜の毎日の中にも、
今までは気付かなかった様々な関心・興味が
続々と沸き起こってくるのです。
自然と、地理や歴史や文化にも明るくなります。
さて今日は、
つい先日、こよみすと 仲間の皆さんと、
関東屈指の超絶パワースポットに行ってきた時のお話し。
今回の目的地は、
ご存知!伊香保温泉
T-TRAVELさんの企画旅行として販売された
こよみすと と行く
榛名・伊香保 立春開運ツアー ですが、
まあ、みなさん
暦が大好き、開運旅大好きな一団だけあって、
事前のリサーチもものすごく、
行った先、あちこちに
開運アイテムを発見されて、
見ても、食べても、大盛り上がり!の
超充実開運ツアーとなりました。
とまあ、
一泊二日の今回の開運ツアー、
神社巡りも、ご朱印帳も、弁天様も、オールインワン!
みたいな、
一度で二度も三度も「美味しい」「楽しい」
立春開運ツアーとなりました。
皆さんにご満足いただけて、
主任添乗員として本当に嬉しい記念になりました。
が、しか〜〜〜〜〜し!
女性達は誰〜も興味を示さないけれども、
蝶より、花より、
温泉まんじゅうなんぞより!!
もっと見るべきものがあるだろう!!
というわけで、
今日は、こよみすと としては絶対に押さえておきたい
有名な伊香保温泉石段街の歴史のお話しです。。。
↓↓↓
テレビや雑誌で必ずと行っていいほど取り上げられるこのカット
両側にお土産屋さんが立ち並ぶ、
365段の石段は、皆さんもご存知ですよね!
でも、
この伊香保温泉のシンボル石段街を、
一体誰が作ったのか?
知ってますか?
って、知るわけないか・・・( ̄▽ ̄)
石段街を最初に整備したのは、
あのNHK大河ドラマ「真田丸」に出てきた
真田幸村のお父さんだったのです!
うん?
真田幸村は知ってるけど、
そのお父さんって?
と思いました!?
そう!あなたもご存知の
真田幸村のお父さんなのです。
この人!
真田丸では、いつも毛皮を着ていた源次郎のお父さん役
草刈正雄さん演じた真田昌幸なのです!
真田丸のお父さん
武田信玄の「温泉好き」は有名なお話ですが (※また別の機会に・・・)
温泉を野戦病院として利用するその方法は、
その子・武田勝頼にも受け継がれ、
1575年5月、長篠の戦いで徳川・織田連合軍に手痛い敗北を喫すると、
すぐさま配下の真田昌幸に命じて、
伊香保温泉を武将の湯治場として整備します。
これが今ある石段街の始まりなのです!
真田昌幸は、真田信繁(真田幸村)の父。
NHK大河ドラマ『真田丸』では草刈正雄が演じた戦国時代屈指の智将です。
真田昌幸は、信濃(現・長野県)を領有したい信玄の配下で、
7歳の時に人質として府中の武田館で武田信玄の近習に加わっています。
信玄没後は勝頼に仕えますが、
永禄8年(1565年)に岩櫃城(群馬県吾妻郡)が武田軍によって落城してからは
武田家郡代として真田昌幸が岩櫃城主となり、吾妻郡、西上州を治めまた。
温泉街は当初、伊香保神社からさらに奥に上った、
「黄金(こがね)の湯」の源泉周辺にありました。
伊香保屈指の老舗「千明仁泉亭」をはじめ、
わずかな浴舎があっただけ、と言われています。
長篠の合戦での多数の負傷者の治療のため、365段の石段を築き、
石垣を配して石段沿いに温泉街を整備します。
最奥部にある源泉井戸から、源泉を通す木製の湯樋を土中に埋め込み
傾斜を利用して、温泉街へとお湯を運びます。
石段の内部には温泉を流す湯樋が通され、
温泉を各旅館に配湯するシステムを築き上げました。
石段途中で分湯する口を小間口(小満口)といい、
温泉は16ヶ所設けられた小間口から巧みに配湯されています。
石段は長篠の戦いの翌年、天正4年(1576年)に完成し、
小間口による分湯方式は寛永16年(1639年)に規定された制度だそうです。
温泉の泉質は、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉。
源泉温度は41.6度。
これを湯樋を通して運ぶわけなので、湯宿ではかなり温めになります。
切り傷にも効能ある温泉に、源泉掛け流しで
長く浸かることができるので、治療効果も高まります。
単に長篠の合戦などの戦(いくさ)で傷を負った傷病兵を癒やすだけでなく、
上杉や北条の進攻を見張る場所、箕輪城(武田氏の上州の拠点)を守る
砦の役割も果たしてい誕だそうです。
天正8年(1580年)に、真田昌幸は沼田城を攻略して、
上州一帯を領地としました。
武田勝頼が織田軍に追われ敗走する際には、
甲斐国(山梨県)を捨てて上野国(群馬県)吾妻地方に逃げるように進言しましたが、仲間の武将の離反にあい、天目山で自刃します。
こうして、日本初の温泉都市計画ともいえる伊香保温泉石段街は、
徳川幕府下の小間口による分湯方式へと引き継がれていくのです。
<参照>
【NHKアーカイブス】
https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0009070765_00000
【渋川伊香保温泉観光協会】
https://www.ikaho-kankou.com/aboutikaho/ishidan/
1600年の「関ヶ原の戦い」以前には整備が始まった伊香保温泉石段街。
伊香保温泉で現存する「老舗旅館」さんが、
「創業400年」とか「500年」」って言っているのも
ぴったりと符号が合うわけなのです。
伊香保温泉
懐深し!
暦を学ぶだけではなく、
旅に出かけるだけでもなく、
暦の知識に、
旅の知識をプラスして、
そこに
もともとの自分の興味関心を合わせて
暦と旅のある生活を楽しむのです。
大好きな歴史の中の出来事や人物が、
暦と旅の現生活の中に蘇って来て、
目の前にイキイキと再現されるような感動を
味わい続けているのです。
今、私は、
ここ渋谷区広尾にオフィスを構えて
毎日のお仕事をしていますが、
もう明らかに、
ここは東京ではなく、江戸!なんです。
いわゆる「江戸・東京ブーム」というものは、
時代を超えてなん度も繰り返されているようですが、
私は今日も、
歴史小説や新書、あるいはもっと高度な専門書を通して、
大好きな「江戸時代」に触れ、
同時に、最近では非常に便利に使えるようになって来た
「古地図」というものをめくりながら、
江戸と現代を行ったり来たりしながら、
本当にエキサイティングな毎日を楽しんでいます。
なぜ江戸が好きか?
というお話はまたいずれ・・・
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